1000年前のブログ

1000年前から生きている

もう忘れましょう/八神純子

先日、およそ半年ぶり(もしかしたら1年…?)くらいにディズニーシーへ行きました。

まだ子供だった頃、クリスマス時期は外が寒くて冷えるので母親がミルクパンでおやつの時間にホットココアを作って出してくれるし、商店街や繁華街のサンタやトナカイの可愛らしい人形たちやキラキラしたイルミネーションとか赤や金色の派手な装飾に心踊るものだったと思うんですけれども、大人になってからはこの時期が来てもそういうウキウキした気持ちを味わえなくなってしまった寂しさみたいなものがあり、ちょっとだけ切ない気分です。(切なさすら感じなくなる日が来るんだろうか)

アトラクションはどれも楽しかった。絶叫系の乗り物は爽快感があって好きです。自身の安全は全て機械に委ね、落下に身を任せるなんてそんな危険な遊び方を最初に考えた人は誰なんでしょう。素晴らしい発想過ぎるので拍手したい。

今更ながらブログタイトルについて。これは八神純子のアルバムから拝借したもので、もう忘れましょうという楽曲が収録されているアルバムのタイトルをそのまま使っています。

小袋成彬が分離派の秋というApple MusicとSpotifyで公開しているプレイリストの中に入っていてたまたま聞いた曲だったんですが、とても気に入っています。

想いを寄せていた人が去ってしまった歌なんですけれども、"もう忘れましょう すべて あなたのことは"というやるせない心情をあらわしたフレーズが、けして恨み節ではなく、かといってがむしゃらに前に向かうでもない淡々と事実を受け入れていく心情をあらわしているようで沁みます。意図せずあっけなく終わってしまった事実を置いていかれた立場の人がはいそうですか、と受け入れて振り返らず進むのは実際には難しくて、ではこの歌詞の彼女が強い精神の持ち主なのか?というとそうではなく、"この指も 長い髪も あなたのものなのに"という部分からまだ未練があるけれど諦めはついている。だから忘れてやろう、もう忘れましょうと悔しさを堪えた自分への言い聞かせのように思えてならない…

話を戻すとこのブログタイトル、私は過去に対して常に恥ずかしい気持ちと忘れたい出来事の方が多いんですけれども、事実自分がその時本当にどう思っていたか何してたか実際どうだったっけっていう細かな事実を忘れることが多くて、まあ別段忘れたところで特に困ることはないんですけれど、後から思い返して懐かしんだりする未来の醍醐味のために日記を書き出したようなところがあるので、わざとこの名前をつけてみました。

何千年もかけて出来上がるきれいな鉱物や結晶のように、過ぎ去った時間の分だけ美しく輝き出すものであると良いですよね。そういう過去が理想なんですけれども。どうなるでしょうか。